なまえのない新聞

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じねん

2017年11月号

40年つづく 
自然主義者たちが綴る
もうひとつのマガジンです


発行 : アマナクニ

高橋秀夫 毎月連載 


おまけ

第36回目の収穫感謝祭をまえに

プレイバックって感じで ♪  

なら民俗通信vol233~

■ 学園前から見つめる ■

■ビルの狭間で土の匂いのする仕事をしよう、と風の伝言が町に起きた。
山村を訪ね、その地で黙々と自然に取りつき、
伝来の農法で大地を耕す方々を訪ねた。 そして、
そこで育った見事な泥付きの大根を町に並べ、売った。
 
 私たちの八百屋の始まりであった。

 ふぞろいの野菜は、そのまま人のありようにも、
また風土が生み出す産物のありさまにも通じるものであった。
 今では、「やさしい」という言葉はあちこちで聞かれ、
ありふれているが、その当時、感じた「 やさしさ 」は
土という幸福が醸す素心の響きがあったように感じる。

 1980年代初頭。全学連、全共闘運動のうねりが静まり、
「 しゃべる 」 上手(うま)さより、 「 黙る 」上手さが
これからは大切、と歌われたように若者たちは
自分の足元を見つめ直した時だった。

 同時に、時代は高度成長期の余韻からバブルの予兆をはらみ、
儚(はかな)くもその多くの者たちは、コンクリートジャングルの都市の一員
として向かっていった時期でもあった。
 そんな中、社会と与(くみ)しない者たちもいた。

ビルの狭間にぽつんと坐す「 お地蔵さん 」との出合いから、
彼らはひとつの発見をするのである。
「 町に村を 」の合言葉で都市と農村を行き来する中、
見上げるビルも、その下には大地が広がり、全ては土の上に
立っているのだ、と仲間たちは言った。

 お地蔵さんはサンスクリット語では「クシティ・ガルバ」。
「クシティ」は大地、「ガルバ」は子宮の意味であるという。
大地が全ての生命を育むということを、発見というより
気付かされたのです。修行僧が悟りを得た話ではなく、
それは、あたりまえの生命のありさまなのである。
「カカ」と慕われるお地蔵さんの笑みにその辻、つまり、
己が人生の交差点で一つの道を選ばされた時なのかもしれない。

 「お地蔵さん」、それは誰もが心に秘めている源響とも言える
心象風景なのだ。それに出合うかどうか、そして、
そのことによって何かに気付くかどうかは、
その人の人生の摂理かもしれない。

■ 国立から学園前に

手に持てるくらいの荷物と、歩くくらいのはやさで暮らし、
町に村を、村に町を創れたらどんなにいいだろう、と33年前に
東京の国立(くにたち)から奈良学園前に来た。
農薬を科学肥料も使わずに育てた、泥つきの野菜を売る
八百屋を始めるためにだった。
たまたま来た私たちは、この地が高級住宅街「重役が暮らす町」
と呼ばれているなどついぞ知らぬまま、やってきたのである。

戦後まもなく宅地化された新興住宅地には、他府県からの移住者が多く、
新参者の私たちも違和感は、さほど感じなかった。
ただ、大きい家が多い印象はあった。

 地域、風土、歴史、伝統などが考えずの新天地、
野菜売りには、こうした町がかえっていいとさえ考えた。
 ここで暮らすというより、ここで野菜を手渡しながら、農業、
食べ物から暮らしを見直そうという気持ちだった。
 60年代、西洋化の肝いりで造られたモダン生活のシンボル公団は、
50年の変遷の内に現在、建て替え工事が進んでいる。
市場は消え、空き地はなくなり、小さな専門店も減り、
塾が並び、コンビニの明かりがまびしく光る町、60余年。

 そんな町、学園前をずっと眺めながら暮らしてきたじいちゃんが
「 重役さん 」よりも前からの住人だ。
大阪から疎開して来た頃は葵池(じいちゃんの住んでいるところ学園前駅北側)
のほとりに数件の家があったくらいで、周りは松林だった、という。
 「爆撃機が来たときゃ、怖かったで」と、あやめ池、西大寺の方を
指差して顔を歪(ゆが)めた。
 大阪大空襲の後、奈良にも空襲があったのだ。
京都が原爆投下の第一候補だったことも、じいちゃんの話で思い出した。

■学園前のお地蔵さん

さて、話は、じいちゃんの指先と振り返って見える生駒山への一つの線だ。
じいちゃんが指差した西大寺、秋篠寺からあやめ池を抜け、
葵池に沿って二名(にみょう)、富雄、そして生駒山へつながる道があったと聞いた。
 その証しとも言える地蔵、石碑もあると聞いた。
静寂な住宅とマンションの狭間(はざま)に小高い山がある。地蔵山だ。



奈良の民俗に詳しい鹿谷勲氏に、地蔵山のことを話したのは数年前。
大いに興味を示した氏はその後、地蔵山に残る石の地蔵菩薩坐像や石灯籠
西国三十三所巡礼碑などを調べた。 この地は江戸時代、
現在の富雄北側の二名村の一部だったらしい。

 さらに鹿谷氏が聴き取り調査をしたところ、この地蔵山は学園新田町17戸で
地蔵講を作り、祀(まつ)り続けていることが分かった。
地蔵山や地蔵講、道については、県立民俗博物舘の図録
『私がとらえた 大和の民俗』(2013)に掲載されている同氏の
「民俗はどこにあるか」に詳しい。




 今夏、私も鹿谷氏に誘われ、地蔵山の数珠繰りの場に立会えたことは嬉(うれ)しい
限りだ。 また、9月には蔵王権現や行者を描いた軸を持ち、
「無病息災、家内安全、身体堅固」と唱え、新田地区の全戸を回り、家人の背中を
さすって祈祷(とう)する行者講という行事もあると伺った。



改めて思った。アスファルトとコンクリートの街の中にも必ずや時を越え、
見守り続けるお地蔵さんはうるのだと。

 地蔵、クシティ。ガルバ、大地、子宮・・・。

町のコンクリートをはがせば、そこには必ず土がある。
人々が暮らし、折々に祈願したカミがいる。
そのカミを自然(じねん)と呼んだ